大信州の酒造り

高品質な酒米が収穫できる自然環境、
北アルプスの山々が育んでくれる天然水、
熱意にあふれた酒米農家、
おいしく飲んでくれるお客様、
そして、ともに働く仲間。
どれかひとつ欠けても大信州の酒造りは
成り立ちません。

わたしたちの酒造りは
そのとりまく環境の有難さに
感謝を捧げながら造る「愛感謝」仕込みです。

天恵の美酒

蔵から見晴らすのは、凛々しい北アルプスの山並みと稲穂が風に揺れる田圃。湿度の低い環境が病害を寄せつけない健康な米を育み、さらに昼夜の寒暖差が旨みを凝縮させます。大地を潤すのは北アルプスからの雪解け水。やわらかでいて清々しい味わいは、長年月をかけて地中をめぐったからこそ。山々が白く粧う頃には凍てつく寒さが一帯を包み、酒造りの季節の到来を知らせます。

酒を醸すこと、それは蔵を取り巻くこれら大自然と融合することを意味します。人は決して逆らわず、静かに調和をとることに注力するのみ。水、米、自然、そして人が一体となり、やがて一滴へ。その一滴は、天の恵みにほかなりません。わたしたちは信州の地の恵みに感謝を捧げ、「天恵の美酒」を醸し続けます。

手いっぱい

わたしたちは、自然からの賜り物に感謝を捧げ、その声に耳を澄まし、尽くせる限りの人の手を尽くして酒を醸します。機械化すれば酒質は均質になり省力化が図れるかもしれません。しかし、そこからは決して突き抜けた酒はできません。なぜなら酒造りは、自然と人の力次第で無限の可能性を秘めるものづくりだからです。その無限の可能性を求め、わたしたちは手間ひまをかけるのです。その姿勢を名に冠した「手いっぱい」は、蔵を象徴する1本です。契約栽培農家が丹精込めた長野県産金紋錦を、麹米38%掛米45%という精米歩合で仕込みます。日本酒は米を磨くほどに洗練された味と香りに仕上がりますが、「手いっぱい」は磨きすぎないことで、洗練さと軽快さ、そして米が醸し出す味わいの絶妙なバランスを追求しています。「手いっぱい」がわたしたちの座標軸の中心に位置し、そのほかがラインアップします。蔵の素顔を存分に発揮させた、名刺代わりと言って過言でない酒です。

和を以って貴しと為す

「以和為貴(和を以って貴しと為す)」とは、聖徳太子の教えであり、先の杜氏、下原多津栄大杜氏の座右の銘です。下原大杜氏は常々、杜氏の仕事は2種類あると言いました。もちろんひとつは良酒を醸すこと。そしてもうひとつが、蔵人一人ひとりを見守り、良好な関係を築くことです。「蔵人同士の関係に角が立っていれば、角のある酒になる。調和のとれた蔵人たちが造る酒は、まあるい酒になる。おら、まあるい酒がいい」。それが「以和為貴」という言葉のもと目指した酒であり、蔵人たちのあり方です。

今、「以和為貴」は、そのままわたしたちの酒造りにおける礎となっています。蔵人が良い酒を目指して一致団結し、真摯に取り組むことで、調和の取れた〝まあるい酒〟を目指します。

文化の継承

わたしたちが造る酒は、すべての工程においてこれ以上、手をかけることができないというところまで手をかけた「手いっぱい」の酒です。自然と対話し、人と対話し、そして酒と対話し、そのうえで人が醸す、まさに手造りの酒です。手仕事のなかには機械化できることもあるかもしれません。しかし、効率を求めて本質までをも機械化し、マニュアルに基づいて人が造る酒は単なる工業製品的な加工食品であり、文化とは言えないと、わたしたちは考えます。型通りの「技術」ではなく経験が培う「技能」で醸し、さらにその地の風土を映し込んでこそ、酒ははじめて「文化」になると信じています。

ただおいしいだけの「旨い」を実現させるのは当たり前のこと。わたしたちは、その先にある文化としての「美味い」を創り出すことを目指し、極寒の蔵に生きています。