大信州ものがたり
04豊野蔵と松本蔵
わたしたちは長らく豊野蔵と松本蔵の2拠点で酒造りをおこなってきましたが、令和1酒造年度(2019BY)の造りをもって豊野蔵を閉じ、令和2酒造年度(2020BY)から酒造りに関わるすべての工程を、松本蔵で担うようになりました。天の恵みとして生まれる日本酒は、気温や湿度の違い、標高差による気圧の違い、空気中に生きる微生物の変化など、微細な事柄がその酒質を大きく左右しかねます。だからこそ、蔵の集約は長年の思いである一方で、おいそれと実行に移せるものではありませんでした。入念な準備を重ねて計画を練り上げ、かけた歳月は10年におよびます。わたしたち大信州にとって、満を辞しての歴史に残る大きな事業となりました。
酒造りにとって大きなリスクを抱えながらも松本蔵への集約に踏み切ったのは、造り手の「熱意の集結」にほかなりません。かつて蔵人たちは、造りがはじまると松本と豊野に分かれました。離れようとも互いに行き来しながら心をひとつに酒造りに邁進してきましたが、常に顔を合わせて働き、場所と時間、そして思いを共有することでしか生まれない一体感があろうことも感じてきました。その根底に息づくのは、故下原大杜氏の座右の銘であり、大信州の信条でもある「以和為貴(わをもってとうとしとなす)」という教えです。蔵人たちの一体感が生み出す「和」をさらなる強固なものにし、より一層の良酒を生み出したいという一心でした。
松本の新蔵には、最新の設備もあれば、そうでないものもあります。それは、なぜか。四季醸造ができる断熱設備を備えれば出荷量を増やせるかもしれません。24時間自動制御の製麹機やサーマルタンクを導入すれば、麹やもろみを安定して管理でき、品質の向上と蔵人の負担軽減につながるかもしれません。しかし、そこから生まれるのは、自然を支配して文明が生み出す工業製品とわたしたちは考えます。
かたや、わたしたちの酒造りの姿勢は「神は細部に宿る」、そして「手いっぱい」。たとえいつかほかの蔵で人の手による麹づくりが行われなくなったとしても、わたしたちは自然と対話しながら人の手で造り続けたい。故下原大杜氏がさまざまな技術を残してくれて今があるように、わたしたちには酒造りの技を後世に引き継ぐ責任もあると考えています。
受け継ぐべき技術と効率化のはざまで、設備を一つひとつ精査して取捨選択し、限りなく自然と対話し、調和する酒造りを可能にする酒蔵を目指しました。
蔵人が集い、設備が整ったことで、すべての酒について、仕込みから瓶詰、貯蔵まで鑑評会出品酒と同等の形でできるようになりました。もろみになるまでは手いっぱいに手をかけ、搾ったらできるだけストレスをかけずに瓶に詰める。さらに、瓶詰めまでの時間も驚くほど短縮するなど、その一つひとつは小さな塵のようなものかもしれませんが、それが山となったとき、お客様に届くことを願って、松本の新蔵ではこれまで以上に手をかけた酒造りを、すべてにわたって行っています。
こうして、松本の新蔵はわたしたちが考える「良い酒」を形にできる、理想的な酒蔵として竣工を迎えました。得られたものは非常に大きい一方で、失ったものもあります。それは、豊野蔵が醸してきた趣です。記憶や歴史は文字や写真、あるいは心に刻むことができますが、趣は一足飛びで得られるものではなく、1日1日を地道に重ねるしかありません。50年経って味が出てきて、100年経ってだいぶよくなったと言われ、3代先の頃にようやく酒蔵らしくなる。そんなふうにきちんと時間を重ねられる蔵であってほしいという思いで、建築士とともに材を選び、デザインを考えました。
3代先には当然、今のスタッフは誰もいませんが、新しい蔵のはじまりに立ち会った証に記念植樹をすることになりました。春になれば甑倒しを祝うように桜が咲き、皆造の頃には花水木が満開になる。豊野蔵から移築した社のまわりには雑木が大きく枝を広げて鎮守の森のごとく酒蔵を包むようになったらいい。ときには大信州を愛する飲み手の皆さまも訪れてきてくださる。そうやって蔵は、建物はもちろん周辺の環境や関わる人も含めてゆっくりと酒蔵になっていくのかもしれません。
酒も然り。初の仕込みとなった令和2酒造年度(2020BY)は、試行錯誤しながらも大きくぶれることなく無事に甑倒しを迎えることができましたが、新しい環境のなかでこれからどんな特徴が生まれ、どう進化していくのか、それは今の時点ではまだわかりません。それぞれの世代が技と思いを磨き、歴史を重ねるなかで「大信州らしさ」を確立していくのみです。そうして100年先、200年先、300年先を見据えたものづくりができることは、酒蔵だからこその喜びであり、使命でもあります。人が変わろうとも、時代が代わろうとも、今ここにある精神が新しい蔵に宿り続けていくことを願っています。