大信州ものがたり

01おやっさが
残してくれたこと

現在の「大信州」の礎を築いた小谷杜氏・下原多津栄大杜氏は、蔵の内外から〝おやっさ〟〝おやじさん〟〝じっさ〟と呼ばれ、慕われてきました。
おやっさが初めて大信州の酒造りに携わったのは16歳のとき。前身である原田屋酒造店に入蔵し、途中、岐阜県や福井県の蔵にも行きましたが、大信州が発足するときに呼び戻され、以来2008年に91歳で引退するまでの75年ものあいだ、杜氏を務めました。酒を唎いてもらおうと、ほかの酒蔵から杜氏や蔵人が訪ねてくることも数知れず。そして、その唎き酒は、米の磨き具合から吸水の量、麹の温度など、酒ができあがる過程をたどり、まるで一緒に仕込んだかのようにすべてを当てる、神がかったものでした。「背筋がぞくぞくしておっかなかった」。名杜氏と称された小谷杜氏の仲間にも、そう言わしめました。

精米歩合の高低に関わらず、すべて同じだけ手をかけて造る今の酒造りは、おやっさが望んだことです。「米が黒えってだけで大事にされなくて、米がかわいそうだ」。米が黒いとは、精米歩合が高いこと。鑑評会出品酒のような精米歩合が低い白い米は手間ひまかけるのに、精米歩合が高い黒い米を使った酒は手間ひまかけない。それがかわいそうだと嘆くのです。おやっさらしいその言葉に、わたしたちは精米歩合に関わらず、全量、鑑評会出品酒同様の手をかけることに決めました。全量自家精米をしているのも、おやっさの玄米と精米へのこだわりがあったからです。

また、生酛や山廃、速醸酛など、さまざまな造りを極めたおやっさが、そのうえで集大成としたのが高温糖化酛でした。その一方、主流となっていた速醸酛も知りたいという後進からの声を受け、速醸酛の技術も受け継いでくれました。自身の集大成があるにも関わらず若手の声にも耳を傾ける姿、そして伝えるからにはと遅くまで机に向かい続け自ら改めて学んでいた姿からも、わたしたちは薫陶を受けました。

このように、残してくれたのは酒造りの技にとどまりません。最たることは、愛感謝という気持ちです。信心深いおやっさは、道具や米、水、人、そして見えないものにすら愛情や感謝の気持ちをもって酒造りに臨みました。今も造りがはじまる前に蔵人が「愛感謝」と手書きした紙を持ち場に貼り、酒造りができることに感謝を捧げています。「和を以って貴しと為す」という姿勢も、おやっさの座右の銘です。

わたしたちの酒造りは、技も姿勢も、おやっさの世界観を遺伝子として受け継ぎながら蔵人一人ひとりが鍛錬を重ね、築き上げたものです。これからも、大信州が誇りとするその酒造りに日々励み、そして、さらに磨いてまいります。